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闘病日記① はじまり

12月 29, 2020 | 闘病-DIARY-

 

2018年12月26日、頭が真っ白になった日。

 

「はっきり申し上げますと、重篤な病気です。」

「急性白血病です。」

 

言われた時に、脳みそが頭蓋骨の中でグルンと180°回転して地中深くにのめり込んでいくような、あの気持ち悪い独特な感覚はいまだに覚えている。

 

「治る病気なんですか?」

 

咄嗟というか、無意識というか、気持ちの整理がついてないままほぼ本能的にそんなすっとんきょうなことを僕は聞いていた。

 

「治ります」

 

その言葉がなかったらおそらく全く違った結果になっていたと思う。

 

 

12月のクリスマスイヴ、彼女とイルミネーションを見に行った。

その時から何か調子がおかしかった。

 

体温を測ると38℃の高熱。

 

きっとインフルエンザか風邪だろうと思った。

家に帰り、市販の解熱剤を飲み様子を見た。

熱が下がらない。

でも、まだきっとインフルエンザだと思ってた。

近くの内科クリニックに、翌日の25日に行って検査を受けた。

 

結果は陰性。

 

それでも熱があることに疑問を持った医者が、念のため血液検査をしようと提案してきた。

当時の自分はたった1本の採血でも、怖いくらいだった。

でも、早く熱を下げて年末、お正月をゆっくり楽しみたかったから検査を受けることにした。

採血が終わって、待合室で待ちながらぼんやりと受付の奥で動いている看護師さんたちを呑気に眺めたりしていた。

 

なんか様子がおかしい。

気のせいか、なんかすごくあたふたしてる。

きっと気のせいだと思ったのも束の間、診察室に呼ばれた。

 

「白血球の数値が異常なんです。」

「これはうちでは対処できない。」

「早急に血液内科がある大きな病院に診てもらってください。」

 

これが初めてことの深刻さに気づき始めた瞬間だった。

すぐにそばにいた看護師さんが年末でも対応している、大きな病院を探し始めた。

紹介状が入った封筒を渡され、その日は高熱のまま家に帰ることになった。

 

25日のクリスマスは、自分の家で母親と彼女が作ってくれたクリスマスディナーを囲んで楽しく過ごす予定だった。

どんなに高熱が出ていても食い意地だけは張って、なんでも食べるのがかつての自分だった。

でもその日はできなかった。

ソファーにぐったり横になりながら、食べれない、楽しめない悲しみでほろっと涙を流していたのを覚えてる。

 

2人が作ってくれた手作りのクリスマスディナー。 とっても美味しそうだった…。

 

でもその時はまだ笑顔が滲んだ涙だった。

きっとなんかの感染症かなんかで、薬を飲んでちょっと休めばまた元に戻るだろうと当然の如く思っていた。

 

 

26日の朝、中野にある東京警察病院に行った。

 

とっととこんなモヤモヤとしたハッキリしない不調から抜け出したい。

ちゃちゃっと検査して、ハイハイって薬貰って帰ってきて休みたい。

だるいなぁなんてそんなことぶつくさ呟きながら診察室へ向かった。

 

 

そこで言われた言葉が冒頭の言葉だった。

 

 

全く笑えない意味で、頭上にたらいが落っこってきたような感覚すら覚えた。

 

先生は、真っ直ぐと僕の目を見て、病名を躊躇なく、かつ、丁寧に僕に必要以上のショックを与えないように最大限の心配りをしてズバッと言ってくれた。

おかげでその場は持ち堪えられたのかもしれない。

もしくはあまりに非現実的すぎたのかもしれない。

 

別の窓口で入院の案内が始まったあたりから、とても気持ち悪いくらいグロテスクなような現実感がこみ上げてきた。

 

そこからは訳がわからないくらい泣いた。

 

呼吸ってこんなに難しいんだっけ?あれ?肋骨ってこんなに広がったり縮まったりするの?ってくらい嗚咽を漏らした。

 

あまりに具合が悪く見えたのか、先生は今日から即入院でもいいよと提案してきた。

けどそれはどうしても避けたかった。

一旦この気持ち悪い非現実的で異質な空間から距離を置いて、気持ちを整理したかった。

粘って粘って翌日からの入院になることになった。

 

帰りの車の中、一緒に乗ってた母親と彼女も現実のこととして捉えられてないのか隠し切れない空虚な無言の間が何度も漂った。

 

いつもはそういう雰囲気が大嫌いな自分は、耐え切れなくて余計なことをペラペラ喋るタチだが、この時ばかりは何もできなかった。

 

車のウインドウにほっぺたをあててひんやりとする感覚で、なんとか正気を保つので精一杯だった。

 

 

人はみんな遅かれ早かれどんな理由であれ死んでしまう。

 

そんなの当たり前すぎて、普段は気にすることもなかった。

誰かのお葬式に行く時に、再認識する程度のものだったかもしれない。

 

産まれた時点で誰しも既に導火線に火はついていて、それが一体どれくらいの長さがあるのかは箱の中に隠されているか何かで全く見えない。

 

だからある意味意識しないで済むのかもしれない。

けど自分はその時まるでとてつもなく憎たらしい誰かに「じゃじゃーん!!」とその箱を開けられて今にも燃え尽きそうな自分の導火線をまざまざと見せつけられた気分だった。

 

「どうだ?ざまあみろ、お前はもうすぐ死ぬんだ笑」みたいなことを言われてる気分だった。

 

そう思った瞬間、全身の毛穴という毛穴から血が噴き出すようなとてつもない憤りを感じて、自分の身体を激しく責め始めた。

 

「こんちくしょう、くそったれ、なんてことしてくへたんだ、馬鹿野郎、台無しにしようとしやがって!」

 

自分の精神と身体を別に扱ってこんな風に勝手に1人で怒り狂ってるのは、とってもとっても滑稽に聞こえるかもしれない。

でも不思議とこれが自分にとっての唯一の正気を保つ方法だったんだと今は思う。

 

「見てろよ、絶対こんなクズみたいな病気捻り潰して追い出してやる」

 

こんなことを何度も自分に言い聞かせながら、爪が手のひらに食い込みまくって痕がつくくらい拳を握りしめて震えを抑えていた。

 

こうして僕の闘病は始まった。

 

 

 

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